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田村日記

生き物として「生きる」ということ

19/02/20 UP

2019年2月16日にEテレで放送されたETV特集「熊を崇め 熊を撃つ」を見ました。
東北の鳥海山のふもとで今も熊狩りを続ける「鳥海マタギ」という人たちがいます。熊を“山の神様の使い”として崇めながらマタギたちは熊を撃つ。「どうして、崇めている熊を、殺すのか」という問いが、番組なのなかで何度も繰り返されます。そこに、言葉としての答えはありませんでしたが、マタギの人たちのまなざしや、語調、ふるまいから、しぜんと伝わってくるものがありました。山と一体となって暮らしていくなかで、それはしぜんなことなのだと思いました。


番組のなかで、マタギのおじさんが「森はやっぱり、生きとるのや」と言いました。
文字にすると平坦ですが、マタギの人の口から発せられた、その静かで深い語調が深く心にしみました。山と切り離された場所で生きている私は、一生かかっても発せられないような言葉。
能などの芸能を見ているのは、そうした欠落感をなんとか埋めたい、という心の底にある気持ちのあらわれなのかもしれません。
山や海、畑など、土地と結びついて生きている人たちの暮らしを、こうしてテレビなどで見るたびに、都会で便利に生きている自分の暮らしとは、何なのかを考えてしまいます。
私は本当に「生きているのだろうか」と。
自分が食べる肉は、もともとは「生きるもの」だった。それをまったく意識せずに、簡単にスーパーで買って、食べている。その死に立ち会いもせず、その死を弔いもせず。
なんて鈍感な食生活をしてしまっているのだろうと感じます。
マタギの人たちの熊の弔いのシーンが、思い返されます。

ETV特集「熊を崇め 熊を撃つ」
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2019-02-20/31/1992/2259642/

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