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2011年10月16日。初めて、梅若玄祥先生にお目にかかりました。
場所は梅若の能楽堂(東中野、正式名は梅若能楽学院会館)です。
通い慣れた建物ですが、当日は演能の日でもあり
稽古場として使っているいつもの部屋が楽屋として使われています。
同じ場所なのに、全く空気が異なり、非常に緊張しました。
そして、一度も足を踏み入れたことのない仏間に通していただき玄祥先生をお待ちしました。
玄祥先生はとても気さくにいろいろお話をしてくださいました。
ご自分の考えを明快に端的な言葉で話されるので、すっと主旨が理解できます。
玄祥先生のお舞台は、重厚でありながらドラマとしての楽しみも含んでいますが
それと重なるような感じがしました。
私がこれまで手掛けてきた歌舞伎の道具の復元や、これから職人を支援していきたいことなどを
つたない言葉でお伝えすると、ありがたいことにとても賛同してくださいました。
昔と全く同じものを作るばかりがいいのではない、
昔と違うがニセモノではない、「平成のいいもの」を
作っていくことが大事だとおっしゃいました。
そして、昔のなぎなたには鯨のひげが使われたいたこと、能装束関連のいい職人さんの情報、
竜戴(りゅうたい 注1)をつけて首を動かしたときに、どんな風に竜戴が動いてくれるのが理想であるか
などをたくさんお話してくださいました。
非常に勉強になり、また興奮する時間でした。
そして技術などの面から考えて、日本の職人ではなく、
インドネシアのバリ島の革職人に新たに作らせたという竜戴なども見せてくださいました。
また、歌右衛門さん(六代目中村歌右衛門)が梅若家に唐団扇(とううちわ 注2)を
借りに来られていたそうで、そのような話題から歌舞伎についてもお話がはずみました。
これから連絡を取り合いながら、進めていきましょうという言葉をいただいて、
この日は失礼をいたしました。
前日からかなり緊張していたのですが、ひとまずご挨拶が無事にすんで
ほっとしながら帰路につきました。
なお玄祥先生にお会いするまでには、私が教えていただいている梅若紀彰先生に
あれこれとお骨折いただきました。
【梅若六郎玄祥(うめわか ろくろうげんしょう)】
シテ方観世流梅若家当主
1948年生まれ。1988年、五十六世梅若六郎を襲名。
2008年、梅若家中興の祖である玄祥の名を後世に残すため
345年ぶりに名跡を復活させ、二代玄祥と改める。
2006年、紫綬褒章受章。日本芸術院会員。
(『梅若六郎家の至芸ー評伝と玄祥がたり』を基礎資料として田村が再編しました)
梅若能楽学院会館のサイト
http://umewakanoh.exblog.jp/
【梅若紀彰(うめわか きしょう)】
1956年生まれ。故五十五世梅若六郎の孫。
祖父ならびに現当主五十六世梅若六郎玄祥に師事。
2010年、二代梅若紀彰を襲名。
梅若紀彰先生のサイト
http://www5.ocn.ne.jp/~umewaka/
注1
竜戴(りゅうたい):頭の上にのせる冠り物(かぶりもの)の一種で、
竜の形をした板状の「立て物(たてもの)」と呼ばれる飾りを輪冠のうえに載せたもの。
竜神や竜女の役がこれをつける。
注2
唐団扇(とううちわ):団扇の一種。軍配に似た形をしている。「鶴亀」「邯鄲」など。
注については、『能楽大事典』を参考にしました。
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能楽