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田村日記

(1) 2013年 春の巻

13/02/16 UP

2013年1月〜4月までの出来事を田村民子が日記風に綴ります(2013年2月スタート)。「伝統芸能の道具ラボ」の活動に関わることを主に書きますが、まったく関係ないことも書いてみたいと思っています。よろしくお願いします。
表紙写真:2012年11月11日 READYFOR?支援者さんとの集い(撮影:竹村圭介氏)

● 2013年4月26日(金)晴れ。でも肌荒れ

【藍染】
藍染め

今日は、日本伝統のすくも藍で素敵な藍染めグッズを作られている「かわうそ兄弟商會」さんが遊びに来てくださいました。最初はSNSからアプローチしてくださり今日の初顔合わせとなったのですが、いろいろお話をうかがっていると、過去にお会いしていることが発覚しました! 去年の8月24日にギャラリー園さんの主催で「日本文化にふれる勉強会 郷土芸能シリーズ ~鹿踊りを体験しよう ワークショップ~」(講師:小岩秀太郎さん)が行われ、田村も企画で少し関わらせていただいたのですが、そのワークショップに参加されていたというのです。去年のあの興奮の空間を共有していたことになります。なんだか不思議でした。いろんな縁がめぐりめぐって、人と人とはつながるのだなぁと実感しました。

「かわうそ兄弟商會」さんが手掛ける作品は、甘すぎないテイストでとても素敵です。今日は、実物の作品も見せていただきました。写真の右側は、型紙。柿渋の微妙な色合いが美しく、それ自体でひとつの作品のようでした。「かわうそ兄弟商會」さんでは素数や円周率など「理数系」なモチーフでデザインされていて、とってもユニークです。それに深い深い藍色がシックでした。藍染めのお話から、ぐるぐると話題が広がり、深いお話がたくさんできました。

かわうそ兄弟商會(通販ページもありますよ)
かわうそ

http://www.kawauso.co.jp/

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● 2013年4月7日(日)嵐の後

【鷹匠さんと組紐】
鷹匠

東京都青梅市の御嶽山のふもとに鷹匠さんの拠点があるとうかがい出かけてきました。ここに至るまでには面白い経緯がありました。
1)能で使われる道具「羽団扇(はうちわ)」に大きな羽根が必要であるが、その羽根が入手困難になっているため、羽根を探しはじめた
2)能を一緒に見に行く友人の樋野晶子さんが独自に羽根を探しはじめてくださり、その経緯で鷹匠の大塚紀子さんと知り合う
3)大塚さんから鷹匠の道具のなかの組紐を作る人がいなくて困っていると晶子さんが相談を受ける
4)詳細は割愛しますが、歌舞伎や能の組紐をつくる職人の江口裕之さんを田村が晶子さんに紹介
5)2013年3月に、江口さん、大塚さん、晶子さん、田村で会い、大塚さんから江口さんへ組紐を発注。納品の際、鷹匠さんがどんな風に組紐を使われるのかを見ることも兼ねて、訪問しようという話になる。
6)そして今日、江口さんと奥様の惠さん、晶子さんの4人で鷹匠さんの拠点を訪問
今回の「鷹匠と組紐職人」の出会いは、晶子さんなくしては成立しませんでした。ありがたいご縁をいただいたことに感謝しています。

実は今、「伝統芸能の道具ラボ」の活動について、あるテレビ局から取材を受けているのですが、今回の鷹匠さん訪問も取材をしていただきました。放送日が確定しましたら当Webサイトの「お知らせ」ページでご案内したいと思います。恐らく4月中の放送になると思います。その番組では大塚さんから江口さんに依頼した組紐の製作の様子などもご覧いただけると思います。鷹匠さんは特殊な道具をたくさん持っておられて、とても興味深かったです。大塚さんは「諏訪流放鷹術保存会」に属しておられ、その諏訪流の第十七代目宗家である田籠善次郎さんからもたくさんお話をうかがうことができました。「こういう質の高い組紐や房を作れる人がいるということは、ありがたい」と、江口さんが作られた組紐をとても誉めておられました。組紐の良し悪しを見極めるポイントが非常に的確で、あらためてその知識の豊富さに驚きました。

田籠さんはとっても気さくな方で、鷹が鶴と戦うシーンを詳しく教えてくださったり、鷹匠が左腕にはめる手袋の作り方、その素材には鹿革が適していることなど、身振り手振りを交えて丁寧に教えてくださいました。写真はその田籠さんが腕に据えておられる鷹の写真です。そして本題である羽団扇の羽根について。大塚さんに羽団扇を使うシーンの写真をご覧いただいたのですが、やはりかなり贅沢な羽根であることが判明しました。それとは異なりますがサンプルとして羽根を1本くださいましたので、これを足がかりに、羽団扇の素材となる羽根のほうも進めてみたいと思っています。

大塚紀子さんの著書『鷹匠の技とこころ』(白水社2011年)もおすすめです!

樋野晶子さんのブログ「鷹匠×組紐レポート」にもこの経緯が詳しく書かれています(少しずつ記事がアップされていくそうです)。

http://falcon-dogu-report.tumblr.com/

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● 2013年3月27日(水)雨

【歌舞伎座開場式】
開場式
約3年のお休み期間を経て、再び歌舞伎座が戻ってきました。ある方のご厚意によって、午後1時から歌舞伎座にて行われた「開場式」にうかがわせていただきました。3階の席だったのですが、確かに傾斜が強くなっていることもあり以前よりも舞台が見えやすくなっていました。椅子の背もたれにもカーブがついていて座り心地がいいです。なにより花道が見えやすくなったのがうれしいですねー。エスカレーター、エレベーターもありますのでご年配の方には喜ばれると思います。それから女性にとっては気になるお手洗いですが、3階のお手洗いは数も多く一方通行にしてあるので、きっと大勢並んでいてもスムーズだと思います。

劇場内では、さまざまな関係者の方にもお会いすることができました。久しくお会いしていなかった方にも偶然お目にかかれたりして、貴重な時間となりました。こうしていろいろな方のご縁やご厚意で記念の日に立ち会えたことに感謝しています。それから、歌舞伎座専属の大道具会社「歌舞伎座舞台株式会社」のWebサイトも25日にオープンしました。私は取材と執筆で参加させていただいております。歌舞伎座を文字通り縁の下で支えるカッコイイ方々です。こちらのサイトもどうぞよろしくお願いいたします。

歌舞伎座舞台株式会社
http://kabukizabutai.co.jp/

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● 2013年3月22日(金)東京の桜が満開の日

【無形文化の魅力】
エダヤトークイベント
今夜はEDAYA(エダヤ)の代表・山下彩香さんに声をかけていただいて、「無形文化」について語るトークイベントに出演させていただきました。山下さんはフィリピン北部に伝わる伝統音楽を未来に伝えるために、調査や支援などをされています。山下さんが昨年10月に問い合わせをしてくださり、翌月に初めてお会いしました。20代でとてもエネルギッシュに活動されていて、こちらが圧倒される感じでした。東京大学大学院卒という才女で、とってもチャーミングな方です。2人で盛り上がって3時間以上も話し込んでしまいました。

そんなご縁から、お付き合いがはじまりました。山下さんの活動は「地域に根ざした芸能」なので日本全国の郷土芸能に詳しい小岩秀太郎さんとお引き合わせしたいなと感じました。小岩さんは岩手県の郷土芸能である鹿踊りの継承者でもあります。その後、山下さんと小岩さんも会うことになりますが、予想通り熱い会話で盛り上がったそうです。こうした出会いとご縁がつながり、トークイベントではこの3人で「無形文化」について語り合うことになりました。

3人とも「無形文化」に関わっていますが、フィリピン(山下)と日本(小岩、田村)。土地に根付いた芸能(山下、小岩)とハイカルチャー(田村)など、立ち位置がかなり異なっています。その差もとてもおもしろく、予定の1時間を超えて、話はどんどん深まっていきました。着地地点も明確に設定していなかったので、セッションのようなスリリングな進行となり、それもまたおもしろかったです。写真は、そのトークイベントの様子です。左が田村、真ん中はフィリピンの民族衣装を着た山下さん、右は鹿踊りの衣裳を着た小岩さんです。また3人で、話がしたいと思っています。

このトークイベントについては以下で詳しくレポートしています。
http://www.dogulab.com/activity/g-1/20130322.html

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● 2013年3月17日(日)晴れ・温かい

【鷹匠さんの道具】
鷹匠の道具
今日は友人の樋野晶子さんのお引き合わせで鷹匠の大塚紀子さんにお会いしました。大塚さんは『鷹匠の技とこころ 鷹狩文化と諏訪流放鷹術』(2011 白水社)という本を書かれています。鷹匠とは簡単に言うと鷹狩りをする人です。昨年、晶子さんからこの本を貸していただいて読んでみたのですが、その奥深さは想像以上で驚きました。晶子さんと大塚さんが交流していくなかで、鷹匠が使う紐を作る人がいなくなって困っているということがわかり、歌舞伎や能の組紐を作っておられる江口裕之さんにおつなぎしようということになり、今日に至りました。

江口裕之さんと奥様の惠さん、大塚さん、晶子さんと5人でいろいろお話をしました。大塚さんが作って欲しいという道具を見せていただき、それをどんな風に使うのかなど具体的にお聞きしたのですが、道具を通じて鷹匠文化をリアルに感じることができて、とても興味深かったです。鷹をつないでおくための紐のお話のときは、大塚さんが突然、座卓の脚に紐をくくって実演をはじめられたので、みんなで慌てて大塚さんのそばに集まって、その見事な紐さばき(?)に見入ってしまいました。たぶん座卓の脚は、そんな使い方をされたのは初めてなのでびっくりしていたと思います(笑)。

鷹匠文化はアラブにもあるそうですが、日本の道具のほうがうんと凝っていると言われていました。おもしろいですね。晶子さんのおかげで「鷹匠×組紐職人」コラボがはじまりそうで、とても楽しみです。うまく成果が出てきたら「活動報告」のほうで正式にご報告していきたいと思います。写真は、鷹を据えるときに鷹の足つなぐ紐です。朱色の部分は正絹の組紐で、紫の部分は鹿の革だそうです。この紐ひとつにも、すごくたくさんのストーリーがありました。道具ってやっぱり面白いですね。

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● 2013年3月14日(木)京都市 晴れ・寒い

【学生さんと学ぶ楽しさ】
小さな道具シンポジウム
今日は京都市左京区の法然院さんで開催された「小さな道具シンポジウム」に参加してきました。このシンポジウムは、京都大学文学部3回生の篠田栞さん(写真の女性です)が中心となって活動している文化サークル「ぼんぼり同盟」が主催したものです。栞さんとは、去年12月に京都ホテルオークラで講演をした際に初めてお会いしました。そのご縁で、今回のシンポジウムで私も活動について発表する時間をいただきました。

「ぼんぼり同盟」は関西の大学生が中心になっているサークルで、今年の2月に立ち上がったばかり。能や歌舞伎、文楽などの芸能から茶道、華道、お酒、和菓子、美術工芸、オペラ、バレエなど「古き良き難しきもの」を若者が楽しむことを目的として、勉強会や鑑賞会、イベントなどを企画していくそうです(Twitter:@bonboribonbon)。今日のシンポジウムでは、7人の学生さんが、さまざまなテーマで発表をされました(各テーマは以下の「普及活動」のリンク先で詳しくご紹介しています)。「道具」というテーマで自由に内容を選んだようですが、ティーカップから現代美術、付喪神までバリエーション豊かでとても勉強になりました。一方的にこちらが話すのではなく、こんな風に学生さんたちと一緒に「学び合う」ということがとても新鮮でした。学ぶって、本当にオモシロイですね!

このシンポジウムまでには、「数珠つなぎ」のようなご縁のつながりがありました。そもそもは歌舞伎の髪飾り「鹿の子」の復元で多大なるご協力をいただいた「京都絞り工芸館」の吉岡健治さんが、「せっかくトヨタ財団さんから助成金をもらっているのなら、助成期間中にうちで展覧会をやってみてはどうでしょうか」と声をかけてくださったことがきっかけです。それで2012年3月〜5月まで展覧会をさせていただき、その開催期間中に京都でワークショップをしました。それを京都ホテルオークラの文化サロンの担当者の方がご覧くださり、2012年12月に京都ホテルオークラで講演をさせていただきました。それを京都大学の篠田栞さんが聞きに来てくださり、今回の「小さな道具シンポジウム」へとつながったのです。本当にありがたいことだなと、いろんなものに感謝しています。

関連記事:「普及活動」(8) 2013年3月14日 「小さな道具シンポジウム」(京都・法然院)
http://www.dogulab.com/activity/g-1/20130314.html

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● 2013年3月11日(月)滋賀県高島市 晴れ・寒い

【人と水の暮らしをめぐるエコツアー】
針江の船着き場
今日から調査のために滋賀に来ています。調査の目的は、楽器の素材ですが、以前から関心のあった「川端(かばた)」のあるエリアのエコツアーに申し込んでみました。場所は滋賀県高島市の新旭(しんあさひ)駅の近くにある針江(はりえ)地区です。

針江地区は、里山や棚田などをの写真で知られる写真家・今森光彦さんが撮影に関わり2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台となった場所です。私もこの番組を見ていて、いつか行ってみたいと思っていました。この地域では、豊富に湧き出る地下水を昔から大切に利用してきました。集落の中を巡る水路やその水を生活用水に利用したシステムを“かばた”(川端)と呼んでいるそうです。

この地域は、とても静かですがテレビの放映があってから、心ない見物客が家の敷地にあるかばたに勝手に入り込んで写真を撮るなどして問題になったそうです。それで、「針江生水の里(はりえしょうずのさと)委員会」が作られて、ガイドさんの案内制度を作ったとのことです。このエコツアーは3つのコースがあります。私は3時間見学をする「川端と里山湖畔」コース(2000円)をお願いしました。

針江1
町のなかを綺麗な水の川が流れています。夏には、子ども達がここで水遊びをするそうです。次は夏に行ってみたいです。

針江2
これが「かばた」です。家の建物の中にある「内かばた」が多いそうですが、このかばたは家とは別にあります。水のなかには鯉がいて、残り物などを食べてくれるそうです!

針江3
かばたでは、中性洗剤などは使えません(条令で禁止)。廃油を利用してつくった石鹸で食器などを洗うそうです。

針江5
エコツアーの参加者には、この竹のコップがプレゼントされます。これに湧き水などを入れてもらい味わいます。とってもまろやかな水でした。この竹は、地域にある竹藪から切り出して作られたものだそうです。竹藪が荒れ放題になっていたそうですが、そこを手入れすることで地域にホタルが戻ってきたそうです。

トップで紹介している写真は、「中島自然地」にある船着き場です。ここには鳥や動物などたくさんの生き物がいるそうです。ガイドさんのお話から、地元の人だけではなく生物学者や写真家など多くの人が関わり、この保全活動が充実していることを知りました。自分たちが守りたいものを「気持ち」だけでなく、きちんと調査をして「根拠」をつくりながら守っている、という姿勢がありました。とてもいい勉強になりました。

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● 2013年3月9日(土)曇り・あたたかい

【峠の関守りのお話】
漆
NHK BSプレミアムの「新日本風土記」という番組をよく見ています。昨日は「手の国にっぽん」というタイトルで、漆職人や和紙職人などさまざまな職人が紹介されていました。以前放映された「越前の冬」もおもしろかったです。福井県の木ノ芽峠という峠で代々関守り(せきもり)をしてきた前川家の前川永運さんという人とその生活が紹介されていました。冬は2メートル以上も雪が積もる厳しい場所で、100年前と変わらない生活をしているそうです。若い頃は、そういう生活がいやで、峠を飛び出したらしいのですが、父親が倒れ、関守りが途絶えることを危惧して家族と離れ、峠に戻ってきたといいます。その言葉。

「この時代、お金さえ出せば、たいがいのことはできる。でも、うちの先祖がここに住み着いておよそ550年。そういう歴史という年輪は金では作れんわけよ。」

ずしーっと、こたえる言葉です。お金という人間が作り出した架空の価値や金融などは、本来、人の暮らしの手助けをするしくみの1つだったわけですが、現代では歴史や伝統、自然資源を越えて、あまりにもいばっている時代なのかなと感じました。「近代化するということは、なんだったのか?」ということを、いろんな場面で考える今日このごろです。

写真は、20年間愛用している漆のうつわです。大学時代の友人が、卒業後に漆職人に弟子入りしたので、そのときに買ったものです。浅い器なので、宴会のときにナッツ類を入れたりして使ってきました。その友人は、その後いろんな仕事をして、今は島根で石州和紙の職人として働いています。

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● 2013年3月2日(土)曇り・少し寒いけどもう春

【道具にまつわる学会】
3学会共同シンポジウム
「日本民具学会」「日本生活学会」「道具学会」という3つの学会が初めて共同で行うというシンポジウムに出かけてきました。場所は神奈川大学です。「道具学会」は私が昔勤めていたジイケイ・デザイングループが大きく関わっており、今回のシンポジウムにはジイケイの方々に導かれて初めて参加しました。各学会から1名ずつが講演を行いましたが、それに先だって川田順造さんによる基調講演がありました。私は不勉強で川田順造さんという人を存じ上げなかったのですが、著名な人類学者でレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の翻訳もなさっているすごい方でした。日本、フランス、アフリカでとにかく徹底した調査をされてきた知の巨人。あふれるような深い知識で圧倒されました。

今日は観客のひとりとして拝聴するだけのつもりでしたが、主催サイドの方のご配慮で私自身も自分の活動をちらっとお話する時間がめぐってきました。歌舞伎や能などの伝統芸能の道具に関わっています〜という程度の挨拶だったのですが、川田順造さんは三味線の弦の糸のこと、楽器の皮のことなどを調査されたことがあったようで、いろいろな情報をいただきました。シンポジウムが終わってからも、あちらからお話に来てくださり大変恐縮しましたがとてもうれしかったです。川田さんは能を観世流の浅見真州さんから習っておられたそうです。そして歌舞伎も大変お好きだとか。関連資料を今度送ってくださるということで、楽しみです。そのようなこともあり、すっかり興奮の一日になりました。

また道具学会の会長の山口昌伴さんが、若い人をもっと巻き込んでいきたい、ということを積極的におっしゃっているのも印象的でした。それから、学会ではみんながお互いを「先生」「先生」と呼ぶのは違和感があると言われていました。だから、これからは「さん」で呼び合おうと。そんなこともあり、私もあつかましく「川田さん」とお呼びしました。ジイケイグループでは、社長も社員もみんな「さん」で呼び合っていましたので、なんだかなつかしい感じがしました。ついつい古巣の会社のことになりますが、今回、このシンポジウムに行くまでには、多くのジイケイの先輩方がお世話をしてくださいました。本当にありがたいなぁと感じます。私も下の世代の人にできるかぎりのことをしていかないといけないなと感じました。

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● 2013年2月27日(水)曇り・やや寒さが緩んだ感じ

【歌舞伎と日本舞踊】
明治神宮の扉
能で使う道具、とくに小物類の品質維持について2011年から取り組み始めています。私は観世流梅若会の梅若紀彰先生に能を教えていただいているので、梅若会の当主である梅若玄祥先生にご指導いただきながら、梅若会の道具に関わらせていただいています。

私が今取り組んでいるのは頭にかぶるものです。能でもいろいろかぶります。玄祥先生の道具に対するお考えも先進的なので、一緒に取り組ませていただいていていすごく面白いです。今日は玄祥先生のご配慮で公の機関の方も交えて、道具を作る職人さんと会合をもちました。まだ小さな動きですが、いいしくみができればいいなと思っています。

その会合の前後で、職人さんからお話をうかがった話です。日本舞踊を習う人がは以前よりもうんと減り、習っている人もすぐに辞められたりしているそうです。昔は、発表会で立派な演目も出されていたけれど、最近はそういう演目を出せる人も少なくなっていると。いい演目を出すときは、歌舞伎の脇役(いわゆる三階さん)が日本舞踊の舞台にも出演されるのですが、そういう場合は歌舞伎の舞台ではできないいい役(たとえば忠信など)を演じることができ貴重な経験になるとともに、その出演料が彼らの経済面も助けていました。歌舞伎と日本舞踊は密接に関わっているのは知っていましたが、今日は別の視点からそのことを再認識しました。日本舞踊の発表会をするには、衣裳やかつら、小道具、大道具などさまざまな職人が関わりますから、発表会が減ると同時にそうした裏方の仕事も減ります。日本舞踊や能、和楽器など和のお稽古事は奥深くておもしろいものが多いです。習う人が増えるための取り組みも必要ですね・・・。

今日の話題とはあまり関係ありませんが、写真は明治神宮の建物の扉です。

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● 2013年2月22日(金)曇り・寒いけと底は抜けた感じ

【生物多様性と文化多様性】
生物多様性

国際環境NGO「The Wildlife Conservation Society(WCS)」の職員としてアフリカ・コンゴ共和国で環境保全の仕事をされている西原智昭さんと一緒に環境省へでかけてきました。WCSはニューヨークに本部があり、世界の野生生物と原野を保全し、生物多様性を維持することを活動の趣旨とする、自然保護活動・環境教育プログラム開発におけるパイオニアです。

WCS
http://www.wcs.org/

どうして私が環境NGOの方と環境省へ出かけているのか? なんとなく今でも不思議な感じがします。「伝統芸能」と「環境保全」。ものすごく遠いようですが、伝統芸能の道具の素材のなかには、絶滅危惧種のタカの羽根や、象牙やべっ甲などワシントン条約(絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)に関するものがあります。私自身は「伝統芸能の質を落とさないようにするため、いい道具を作り続けられるようにしたい」という願いがありますが、そのためには自然界とのバランスもしっかり考えていかなくてはなりません。昔の日本と、現代の日本では人間と自然の関わり方が大きく異なっています。伝統芸能のみならず伝統文化全体と、生物多様性が両立するにはどうすればいいのか? ということは私の小さな活動においてもしっかり考えておくべきことだと感じています。

西原さんは普段はコンゴに住んでいらっしゃるので、お会いするのは年に数回です。西原さんの調査をお手伝いさせていただきながら、生物学の調査・研究の手法も学んでいますが、データの取得方法や論の組み立て方などは、私の活動のいいお手本になっています。私は手探りで調査などをやっているので、こうした既存の学問の理論枠組が非常に参考になるのです。環境保全や生物多様性の考え方も、常に自分の研究に置き換えてみています。それから、自分の信念をしっかり持ち、課題を解決するために、粘り強く行動を重ねるという姿勢にも非常に大きな影響を受けています。

写真は生物多様性を勉強するために買った本の一部です。一昨年、環境系NGOのための「アドボカシー(政策提言)」のノウハウ・テキストを作る取材をしていたのですが、そのときから少しずつ勉強をしてきました(まだまだ知らないことばかり)。読まなくてはならない本も沢山ありますが、今日のようにワシントン条約の会議に出席する環境NGOの方や環境省、経済産業省の方と直接話をすると、いろいろな力関係や報道では見えてこない本音なども感じられますので、やはり人と直接会うというのが大事だなと改めて感じました。

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● 2013年2月20日(水)曇り・まだまだ寒い

【職人から見た、職人】
江口さん

歌舞伎のかんざしを作っている方(このページの2/13の記事でもご紹介した八田春海さん)が、房のストラップができるまでの製作過程をまとめたページを見てくださいました。その感想がとてもいいので以下にご紹介します。

房のストラップができるまでの製作過程をまとめたページ
http://www.dogulab.com/activity/kn-6/1-4.html

「やはり、独特な道具がたくさんあって興味深いですね〜。四角い糸巻きがたくさん並んでいるのとか・・。腕のある人が使うことによって活きてくる道具というのは、機械とはまた違った味わいがあって良いですよね。その人が使うことによって完成するというか」

うーん、ぐっとくる言葉ですよねー。ものを作る人同士が交流するのも、いいかもしれませんねー。作っている人にしかわからないこと、見えないことって、いっぱいあるんだろうなー。彼らが発する貴重な言葉を記録していきたいなぁと改めて感じました。やっぱり「聞き書き」プロジェクト、早くやりたいです。

話は変わりますが、組紐や房を作る過程では「算数」が必要になってきます。この写真は、職人の江口裕之さんが「枠付け」という作業をされているところです。糸のメーカーから仕入れたときには「大がせ」という状態なのですが、それを木枠に巻き付けていく作業をします。このあたりの説明にも、いろんな算数が入っていますが、そこがあんまり理解できないー。大道具さんの取材でも、やっぱり算数が出てきました(長くなるし、うまく説明できないので省略します)。というわけで私は、算数が苦手なのでいつも途中から脱落してしまいます・・・。いけません。「職人の算数」については、いつかまとめてみたいですが、算数が強い人がいないと難しいかもしれません・・・。

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● 2013年2月19日(火)雪・まだまだ寒い

【遅ればせながらの桂離宮】
桂離宮

20代は初めての一人暮らしで京都に住んでいました。京都の人が「御所」と呼ぶ京都御苑のすぐ北に、相国寺という大きなお寺さんがあるのですが、その近くの小さなアパートで暮らしていました。相国寺では、ときどき時代劇の撮影なども行われていました。京都に住んでいたころは、寺と祭をめぐるのが趣味でした。祭では、ありきたりですが「祗園祭」が一番好きでした。特に宵山がよくて、あたりが暗くなったころに浴衣を着て、御池通りから適当に南下しながら鉾をながめたり、「ちまき」を買ったり、立派な町家のなかに飾ってあるお宝を拝見したりするのがなによりの楽しみでした。

お寺では、いろいろ巡ったなかで一番気に入っていたのは大徳寺のなかの塔頭の高桐院(こうとういん)でした。しかし、このお気に入りの寺ランキングは、去年一気に変わりました。お気に入り第一位に「桂離宮」が急浮上したのです。桂離宮や修学院離宮は事前申し込み制になっているので、京都在住時代は「面倒だなぁ」と思って全く行っていませんでした。京都を離れ、東京に住んでいる今のほうが余計に面倒ではあるのですが、石元泰博さんの写真を見るなどにつけ「やっぱり見ておいたほうがいいかな」と思ったことと、去年から親しくさせていただいている記者の方がお忙しい仕事を縫って、何度も行かれているようなので、やっと重い腰をあげる気になったのです。手続きは面倒ですが、ネットで一応できます。

桂離宮は、やはり特別な空間です。国で管理しているだけあって、整備などが徹底しています(美観を損ねるビニールテープや変なゴミ箱などもない)。ガイド付きで集団見学しかできないという不自由さはありますが、そこを我慢してでも、見学する価値があると感じています。去年は2回行ってきました。これからも、京都へ行く際にはできるだけでかけてみたいと思っています。

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● 2013年2月17日(日)くもり・寒い!朝は氷点下

【私の宝物・取材ノート】
取材ノート

取材ノートをときどき読み返しています。私は基本的にインタビューのときにICレコーダーなどを使いません。私が取材をする相手は、裏方さん、職人さんなど取材にあまり慣れていない人たち。録音されていると思うと、うまく話せない人が多いと思うし、私自身がインタビューを受ける側だったら、やっぱり緊張したり、とりつくろった言葉になってしまうと思うのです。それから録音していると思うと、油断して相手の言葉を必死で聞かなくなります。言葉を発する一瞬一瞬を聞き漏らさないように、真剣勝負するためにも、あえて録音しないのです。でも、もちろん正確な記録を残す、という意味で録音しておいたほうがいい場合もあります。このあたりの判断、大事です。

それで、取材ノートは何度読み返してもおもしろいです。汚い字で、ぐじゃぐじゃなんですけど、書かれている言葉の切れっ端から、そのときのことがぐんぐん蘇ってきます。あー、こんな大事なことも話してくれていたんだなーとか、このあたりは記事に盛り込めなかったなとか。取材したときは理解できなかったと思われる言葉もあります。でも、今ならその言葉の意味がよく理解できることも。

取材をさせていただいた後に、亡くなられた方もいらっしゃいます。もっと時間を作って、お話を聞きにうかがっておけばよかった・・・と悔やまれます。やっぱりどれだけ、話を聞きたいと本気になって、時間を割いたか? が大事なのだと思います。私は、自分の生計を立てるために「生活費を稼ぐ仕事」もしなくてはなりません。仕事をするということは時間をとられるということです。仕事ばかりしていては、こうした職人さんのところへ話をうかがうための「時間」を作ることができません。「資金づくり」と「活動を進める」ことが、今は相反するものになっています。ここをぐるっと変えて、「活動進めることが、資金づくりにもなる」というサイクルにしなくてはと思っています。まだこの部分で苦しんでいます。

写真は取材ノートの一部です。WHITELINESの方眼・A5・リングを愛用しています。取材ノートは何冊あるか数えたことがありませんが、かなりたまってきています。「取材ノートで語る、○○のお話」なーんていう講演とかもやってみたいなぁ。

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● 2013年2月15日(金)くもり・雪が降りそうで降らなかった日

【初めての就職したデザイン会社のこと】
道具学

社会人として初めて働いたのは、ジイケイ京都というインダストリアルデザイン事務所でした。本当は書く仕事に就きたかったのですがうまく就職できず、希望職種をあきらめて一般事務で働きはじめました。丁度バブル崩壊寸前の年で、大量雇用が行われていました。社員のほとんどが芸大卒のデザイナーという会社で、自由闊達な人が多くとても刺激を受けました。京都で初めての一人暮らしをはじめていたのですが、それまでいかに保守的な世界で生きてきたかを痛感しました。

会社の同期は、私も含めて4人。私以外は男子でしたが、とても仲が良く仕事が終わってから4人で京都のまちを一晩中遊び歩いていたこともありました。私が勤めていた会社は、東京や広島、海外にもグループ会社があり、ジイケイグループ(会長:栄久庵憲司)全体での同期はたしか20~30人だったと思います。入社してから約20年が経ちましたが、いまだに仲良くしている人も多くいます。「伝統芸能の道具ラボ」のロゴをつくってくれた村上千博さんもそのときの同期です。私がいた京都の会社は、プロダクト、グラフィック、環境デザインなどを扱う総合デザイン事務所でしたが、彼女がいたのは東京のグラフィック専門の会社でした。

今夜は千博さんの上司だった方と現在そこで働いている女性と4人で会食をしました。上司の方から、私の活動においてもっと「道具とはなにか?」を掘り下げて考えてみることも大事なのではないか、というアドバイスをいただきました。たしかに「道具」って曖昧な言葉ですよね。かつてジイケイグループには「GK道具学研究所」という組織がありました。その定期刊行冊子「道具学 DOGUOLOGY17号」(1994年9月1日発行)を掘り出してきて、私に下さいました。もう一度「道具」についてしっかり考えていきたいと思います。

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● 2013年2月13日(水)晴れ・寒い日

【歌舞伎のかんざし職人として歩みはじめた八田春海さんのこと】
かんざし

今日は2年前に私が橋渡しをさせていただいて、歌舞伎で使う「かんざし」の仕事に携わるようになった八田春海さんとお会いしてきました。
20代ですが、とてもしっかりした女性で、非常に粘り強い丁寧な仕事をされます。これからどんな風に仕事をしていくべきか、歌舞伎の仕事を最終的にどんな風にやっていきたいか、などをうかがいつつ、私のほうもこちらが動いてきたことを報告して、彼女がどんな風にしたら歌舞伎の仕事がやりやすくなるか、きちんと収入につながることができるかを一緒にイメージを固めていきました。

1時間半くらいみっちりお話をしたのですが、そのなかで彼女が「一般の世界では、とにかく質を落として安くして!と言われることが多いのですが、歌舞伎の世界では、もっと質を上げて!と望まれる。そこがとてもいい」と言われていたことが、強く印象に残りました。私はこの言葉にぐっときました。「より質の高いものを作りたい!」という真っ直ぐな目をした裏方さんや職人さんに出逢うと、私はものすごく心を打たれます。そして、彼らを応援せずにはいられなくなってしまうのです。
私の活動の原点を改めて見つめ直す貴重な時間となりました。

このところ苦手な資金計画を考える日々が続いていて気持ちが落ち込み気味だったのですが、今日は彼女と話しができて、大きな力をいただきました。活動を続けるための収益事業も、がんばらなくては!
(写真は、彼女が修理をてがけた「古代のかんざし」です)

*関連記事:活動報告 後継者づくり支援 (1)歌舞伎のかんざしを作る職人になる